クマエさんへ
初めて貴方を知ったのはもう10年近く前です。
当時貴方はTeenagers Bloody KillinG(以下:ブラキリ)というバンドのフロントマンでした。
2010年頃渋谷乙を始めとした界隈は怖い方が本当に多くて、心から音楽が好きでないと気軽には入っていけないような凄みがありました。
どんなに好きなバンドでも気軽にはライブに行けないような、あの感じです。
その中でも貴方はリーダー格、取り分けおっかない方…というのが当時抱いていた印象です。
そしてずっと遠く、ステージの上の人でした。
たった一度だけ、当時の貴方とTwitterでやりとりをしたことがあります。
それは何を隠そう、貴方の大好きなバンドに関する #ART-SCHOOLのベスト3曲 というタグでした。
他の2曲は忘れてしまいましたが、私がそこに「エミール」という曲を加えてツイートしたところ、貴方は「エミールいいよね。俺も好きなんだよ」と、リプライを送ってくれました。
衝撃でした。あまりに衝撃だった私はそれにリプライすることもできず、ただいいねするだけで精一杯でした。
後年、貴方にこの話をしたところ「そんなリプライしたっけ。あー、したかもな」と照れ臭そうに笑っていましたよね。でも僕は片時も忘れた事はありませんでしたよ。
1人の音楽好きとしての貴方と通じ合えたようで、とてもとても嬉しかった。今でも大切な記憶です。
そこから数年間、貴方は私たちの前から姿を消しました。風の噂で「失踪した」という話を耳にしましたが、残念ながら私にはその真意を確かめる術もありませんでした。
ところが転機というものは突然訪れます。きっかけはmintさんからの「ドラムを探してるバンドがあるんだけど叩いてみない?」というお誘いでした。興味があった私は二つ返事で快諾し、下北沢のスタジオへ足を運びました。
それがLemonade chord(以下:レモコー)というバンドであった事、メンバーとこの先もずっと長い付き合いになる事を、当時の私はまったく知る由もありません。
ゆうりさん、フジモトさん、mintさん。そしてクマエさん。
顔合わせをして暫く音出しをした後、休憩でmintさんとスタジオに2人きりになった私は思わず「あの人っておこぞさん…ですよね…?」と確認しました。
よもやこんな形で貴方と再会するとは。しかも今回はバンドのメンバーとして呼ばれている。おそらく薄っすらと期待もされている。
頭の処理が追いつきませんでした。
それでも何とか数曲を叩いてスタジオを終え、クマエさんから「やっていけそう?」と聞かれ「頑張ります」と答えたこと、今でも自分自身にナイスプレーだったと言ってあげたい。結果としてこのバンドを通した数年あまりの短い活動が、今の私の根本になっていると言っても過言ではないからです。
レモコーでの活動はまるで実家のようでした。
当時は若く、まだ自制心の弱かった私はよくスタジオ前にストロングゼロを飲んでからドラムを叩きました。きっと他のバンドだったらクビになっていたでしょうね。
でもレモコーはそれすらも許容し、メンバーみんなが自分らしく振る舞える場であったように思います。
一方で音楽的には妥協せず「いい歌を作ろう」というメンバー共通の意識もありました。
これが前述の信頼関係とバンド特有の緩さとに絶妙なバランスをもたらしていました。
本当に「いいバンド」でした。今思い出してみても、メンバーみんなでずーっと笑っていた記憶しかありませんから。
レモコーを始めて、私の中の貴方の印象はガラリと変わりました。
怖そうに見えて、本当はユーモアに溢れているところ。少しだけシャイなところ。ステージに上がるといつだってカッコいいところ。めちゃくちゃノリがいいところ。面倒見がよくて心配性なところ。何かあればすぐDMやLINEをくれたところ。
こんなところには全部書ききれないくらいに、貴方の様々な一面を見ることができました。これもまたレモコーに参加できてよかったなぁ、と思えるところです。
そうそう、このバンドではゆうりさんとクマエさんの結婚式にも参加させてもらいましたね。
式場の決して良いとは言えない音響設備の中でドキドキしながらドラムを叩いたこと、「この演奏が一生の思い出になるんだ」というプレッシャー。スティックを持つ手が震えていたことを今でも覚えています。
あの演奏は結果的に成功でしたよね?
自分の人生で初めて参加した結婚式がお2人の結婚式だった事を私は生涯誇りに思い続けます。
それから暫くして、ゆうりさんがそうすけ君を妊娠されたことでレモコーもしばしの休憩をとることになりました。
それでもまたいつでもすぐスタジオに入れるように、私は録音した音源を時たま聴いては「次はここのフィルを変えてみよう」などと想像していました。
その頃の貴方は以前にも増して忙しそうでしたね。新しく始めたバンドやサポートでのベース、ドラムを叩いたりも。
誰かがバンドで困っていれば手を差し伸べずにはいられない、実に貴方らしい、しかしその一つ一つがかけがえの無い活動だったのでしょう。
そうすけくんも生まれ、貴方の横顔はいつからか「カッコいいバンドマン」から「カッコいいお父さん」へと変わっていました。
この頃のもう一つ忘れてはならない出来事が、ブラキリ復活という一大イベント。
夏、フロアライブで初めてみたブラキリのライブはあまりの音のデカさと熱気で会場全体の方がおかしくなるのではないか、という迫力でした。そして、この時に私はまた貴方のカッコ良さを再認識したのです。
時間はどんどんと進んでいきます。
昨年、「新しくマイペースにできるバンドを組みたいからドラムを叩いてくれない?」と貴方から連絡があり、私の胸は高鳴りました。
また一緒にバンドができるんだ、と。
今回は3ピースでやりたい、ということでクマエさんはベースボーカル。ギターは貴方の旧くからの友人である小林ユウさんでした。
このバンドがキッカケでユウさんとも仲良くなれて今日に至っています。
結果として404Eでは2回のライブをやりました。ライブをやってみた感想は「まだまだ改良の余地があるなぁ」「でも沢山デモ曲もあるから、これから何年かかってもゆっくり形にしていきたいな」という物でした。
ユウさんから、クマエさん自身もそう思っていたと後に知り非常に嬉しく思いました。
その嬉しさは、きっと以前に感じた物と同じ「音楽を通して貴方と通じ合えた」という喜びだったのだと今になって感じています。
でも、これが貴方との間の最後の記憶です。
去る5月1日の午前中、ゆうりさんから1本の電話をいただきました。私は仕事もありすぐには折り返せず「後ほどご連絡します!」と返しましたが、ただならない胸騒ぎを覚えて1日を過ごしました。
そして夜、日付を回って少しした時。ゆうりさんから再び電話をもらい、そこで貴方の訃報に接し、全てを聞きました。
今年に入ってからずっと元気がなかったということ。
外に出ることもできず、横になるだけが精一杯だったということ。
もう音楽を聴いても幸せを感じられない、何か生み出す気力も余裕もない、その毎日がひたすらに怖くて辛い日々だったということ。
昨年最後に会った貴方は、少しだけ痩せてとても疲れて見えました。
それでも「ポタちゃん今度ご飯行こうよ」「お互いの悩みとか話せたらいいよね」と、誘ってくれましたよね。
もし、あの後一緒にご飯に行って悩みを打ち明けられていたら。何か言えていたら、伝えられていたら…と思うと後悔しかありません。
電話をいただいた翌日、私は棺の中の貴方と対面しました。
ステージの上でいつも歌っていた貴方が、
バンドメンバーと一緒にいる時照れ臭そうに笑う貴方が、
ほんの数年前に結婚式で白いタキシードにレスポールを構えていた貴方が、
静かに目を閉じて眠っているところを見ることになるとは、誰が予想できたでしょうか。
誰が受け入れられるというのでしょうか。
生前「生きていればまた会える」って自分で言っていたのに、こんな最後ないでしょう。死んじゃったら全部終わりじゃないですか。
404Eの作りかけの曲を「このバンドはネオアコとかもやりたい。ポタちゃんそういうの得意でしょ?」って言って、あの曲だってまだ完成してないですよ。せっかくドラムも考えたのに、もう一度聴いて欲しかった。もう一度貴方の後ろで叩きたかった。
レモコーももう一回やりたいって、両親が作ったバンドを息子に見せてやりたい、聴かせてやりたいって、それももう叶わないじゃないですか。
今、心にあるのは「もしかしたら自分にも何かしらの術があったのではないか」といういくつもの深い後悔と、悲しみ、寂しさばかりです。
告別式があった5月5日、奇しくも貴方の敬愛するスマッシングパンプキンズの新しい音源が配信されました。
私はまだ聴けていません。
天国では聴けているのでしょうか。あの「メランコリー 終わりのない悲しみ」の続編みたいですよ。きっと貴方も気にいるでしょうね。
「近年のスマパンは俺の好きな感じに戻ってきてる気がする」とおっしゃってましたから。
それからART-SCHOOLの新譜ももうすぐ出るみたいです。ちゃんと天国で聴いてくださいね。貴方の大好きなバンドだから、きっと気にいるでしょう?
貴方との「一緒にご飯行こうよ」という約束はまだ果たされていません。
でも果たされていないという事は、まだ破ることもできていないという事です。
だから空の上で待っていてください。
少し時間はかかるかもしれないですが、必ず行くので。
テキーラのショットグラスをたくさん並べて「ポタちゃん、遅刻はマジでテキーラの刑だからね」って、笑いながら。
なんだか随分と長くなっちゃいましたね。
長文は嫌いでしょう。ごめんなさい。
でも「これ、弔文と長文をかけたギャグなんですよ」なんて言ったら、きっと笑ってくれそうですね。
本当にありがとうございました。
これからもずっとずっと大好きです。
2023年 5月2日 ポタキ詠一