夕飯を食べた後、居間で奥さんとWeezer聴きながら「久々に聴くといいな〜」などと思う。
Weezerはダントツに1枚目が大好きなのだが、改めて聴いてみると、今の耳には毒気が少なくて物足りなく感じる。
なのに、ずっと聴いてると結局その素朴さが切実でとても良いな、と思うから不思議だ。
いくつになっても「良い」と思えるものは、飾らないシンプルで素朴な物なのかもしれない。
夕飯を食べた後、居間で奥さんとWeezer聴きながら「久々に聴くといいな〜」などと思う。
Weezerはダントツに1枚目が大好きなのだが、改めて聴いてみると、今の耳には毒気が少なくて物足りなく感じる。
なのに、ずっと聴いてると結局その素朴さが切実でとても良いな、と思うから不思議だ。
いくつになっても「良い」と思えるものは、飾らないシンプルで素朴な物なのかもしれない。
年々口数が減っている。
小さい頃はおしゃべりな子どもだった。
自分から人に話しかけに行ったり、人の輪に入っていって話しかけることも苦手じゃなかった。
でも社会に出てみるとわかることがある。
言わないほうが良いこと、言わなくても良いことの方が圧倒的に多いということだ。
言わなくてもいいことが多すぎて、自然と口を噤むようになった。
そうなると、今度は必要なことでも話すことがなんとなく億劫になる。
話さなくても行動で示せばいいだけだ、と強く考えるようになった。
今僕は会社でも、プライベートでも、寡黙な人間で通している。
昔何かで読んだ「人間が一生で発す事のできる言葉の数は決まっている」という通説もあながち嘘でもないのかな?と思った。
Googleのストリートビューで昔祖父母が住んでいた家を見た。
家の前の道路に立ち、一番古い2009年までストリートビューを遡る。
2階のベランダには洗濯物が干してあり、玄関横にいつも祖父が乗っていた自転車が止められていた。
家の前には収集車を待つゴミ袋が2つ、ポンと置かれている。
泣きそうになった。
風景に祖父母が映っていたわけではないが、人の生きていた営みの痕跡というのは、こうした何気ないものに現れるのだなと思った。
風景を2024年まで戻す。
もう誰も住んでいないがらんとした家が映っている。
社会がデカい箱でよかった。
人と同じことを同じようにできないことがコンプレックスだが、そういう人間が生きていてもとり立てて大きな問題にならないことは社会というデカい箱の恩恵だと思う
職場で飲み会があった。
ギリギリの時間まで飲んだ。22時に差し掛かる時間で引き止められながら、「明日奥さんと上野に行く約束をしています」と話した。
「奥さんとラブラブなんですね」と言われ「大好きですから」と答えた。
そうです。大好きなんです。
鏡を見る
まるでベルトコンベアーの上に
規則正しく並ぶ 空き箱のよう
空っぽなのに 体裁だけ繕って
小綺麗なふりをしている
会社。
元々11人いたのが去年末に5人になって、10ヶ月やってみたけど結局1人1人の比重が凄まじくデカくなり、おまけに自由に休日を取れないので社内が不満でめちゃくちゃになっている。
とにかく、もう端的に頭数が足りていないために入ってくる仕事を捌ききれていない。
「周りに仕事探してる人いない?未経験でもいい。」と言われたが、沈みかけた船に知り合いを招き入れるような無神経さは、生憎僕にはありません…。
会社が潰れるとかは考えたくないが、、、