出ポタ記

日々思ったことの日記など

20181114

物心ついた頃からずっと「自分は20代で死ぬだろう」という確信があった。

僕の好きなミュージシャンや俳優は皆、20代で亡くなっている。イアンカーティスも、リヴァーフェニックスも、カートコバーンも。

だからその人たちと同じように、20代で華々しく潔く死んでやろう、という想いがあった。

むしろ「死ななきゃおかしい」くらいの気概さえあった気がする。どこかで違和感をもちながらも、ずっとそれを救いにして生きているフシがあった。

そして、その想いは今だに心の隅にあるのだから手に負えない。

『別に「死にたい」わけじゃない。 そうに決まってるんだから仕方ない』という根拠のない諦観。こんな思考がとんだ驕りであることは今さら百も承知だけど、「男児は100まで厨二病」ということで一つご容赦願いたい。

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でも最近ふと30歳になった自分はどんな人間になっているんだろう…?と思う時がある。

それは大抵夜眠りに落ちる寸前だったり、誰かの幸せそうな一瞬を目にした時だったりする。

爪の先まで自分自身の思考に呪われた20代。そこを越えた先には、誰かと笑いあっている未来があるのだろうか?

正直、僕は幸せに対してかなり懐疑的だ。

そう簡単に人間が幸せになれるわけがない。

自分のようにぬるま湯の中を生きてきた人間なんて尚更だ。 必要な対価を支払ってまで幸せになれない人間も多くいる中で、それすらサボって生きてきた人間がどうやって幸せになれようか。

例えそんなチャンスを前にした時にも「この幸せを手にする資格が本当に自分にはあるのだろうか?」とくだらない想いを巡らせるのだろう。

信号が点滅してから慌てて走り出すような人間には、幸せはあまりに遠すぎる。

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もう26になってしまった。

イアンカーティスもリヴァーフェニックスも年下になってしまった。

大誤算だ。

カートになるには今年中に何かを残さなくてはならない。あまりに余裕をこきすぎた。

時間を忘れて遊びすぎたせいだ。

何かを残さなくては。 このままでは死ぬに死ねない。