随筆 vol.1 夏について
夏は好きな方ではない。
理由はいくつもあるが、最大の理由は「私が極度の汗かきである」という事だ。
平時から暑がり・汗かきの私にとって、夏の暑さなんてのはもはやオーバーキル、惨い死体蹴りである。
朝会社へ行くのに部屋を出て、エレベーターで1階へと降り、オートロックをくぐるころにはもう額にじっとりと汗をかいているという始末。会社へ行くのをやめてどこかで涼みにいきたい、という気持ちが沸々と胸の内に湧いてくるのがわかる。
可能ならば、日に数回風呂へ入りたい。
というか贅沢言えば数時間に1回入りたいくらいだ。
が、そういうわけにもいかないので、汗拭きシートやら制汗スプレーやらでなんとか日々凌いでいる。
それでもやはり生理現象であるから、これらの対処法など気休めのようなもの。
雨でもないのに頭からつま先まで常に湿っているその様は、さながら濡れネズミのようである。
これではお店はおろか、どこかのコンビニへ入ろうにも気恥ずかしくて気が進まない。
夏というのは本当に嫌な季節である。
ところで、そんな夏がそれほど好きでもない私にも夏楽しみにしている事がある。
ビールだ。
酒好きにとって暑い日に飲むビールは劇薬であり、ほとんど犯罪的なシロモノであると思う。
バーベキュー。屋外のライブ。野球観戦。花火大会。
酒が飲めるようになって久しいが、夏の思い出の傍らにはいつもビールがあった。
その中でもひと際印象深かったエピソードがある。これは私が大学生だった頃のことだ。
当時ボランティアサークルに入っていた私は、その日大学近くの地域の祭りを手伝うことになった。
早朝6時に集合、という時点でだいぶトチ狂っていると思うのだが、日が上がり時間を追うごとにドンドンと気温はあがっていく。
午後になるともういよいよ耐えられないほどの暑さになり、腕や首に汗の玉をしこたま浮かべながら、私は古代エジプトの奴隷のように祭りの準備へと従事した。
吹き出した汗をタオルで拭くと、そのタオルも瞬時に乾き、ジリジリと肌を焼く。
今ではとてもマネできないが、
15時も過ぎたころだっただろうか。
ようやく盆踊りのやぐらも組み終わり一息ついていたころ、祭りの出店準備をしていた地域会の方が何やら遠くから叫んでいる。
「ビールサーバー着きました!」
その一言であれよあれよとビールサーバー周りに人込みができて、もう祭りの準備も佳境にさしかかっていたというのに酒盛りが始まってしまった。
「君たちも飲んでいきなさい」と手渡されたのは、プラコップに注がれた琥珀色とも黄金色とも形容できそうなキンキンに冷えた一杯の生ビール。
恥を承知でいえば、当時の私はビールの味も知らないまったくの未熟者だった。
それは酒をほとんど飲まなかったのもあるが殊更にビールは苦手で、あの苦みをどうにも美味いと感じなかったのである。
しかし、それにおいてもこの時飲んだ生ビールの美味しさと来たらなかった。
火照った全身に、ほろ苦くそれでいて炭酸を含んだ爽快な液体が浸透していく。
あれだけ苦手だったビールが、である。あっという間に飲み干した私は、図々しくも2杯目を所望していた。
こんなに美味い飲み物があったとは。
「価値観が真逆に変わる瞬間のカタルシスというのは、本当に世界が反転するようなものなんだなぁ」と思ったけれども、
それはまだ酒に飲みなれていない私が、急激にアルコールを摂取したことによる幻視だったのかもしれない。
調子に乗って飲みすぎたツケで翌日ひどい二日酔いに見舞われた事も、今ではいい思い出だ。
あの夏から数えきれないほどのビールを飲んだが、あの日異常に美味いビールに私は未だ出会えていない。
今年もまた、しばらくは最高のビールを探す日々になりそうだ。
やはり夏という季節はどうにも好きになれない。罪深い季節である。