「怒る」という行為には向いている人と、向いていない人がいると思う。
社会に出てみるといつも怒っている人は割と多い。体感にすればおよそ3割くらいはいつも何かに怒っている人だ。
客に怒り、仕事やシステムそのものに怒り、職場の内情に怒り…あげればキリがない。そうやって日々を乗り越えているんだな、と思う。大いに結構だ。感情をシンプルに形にし、あまつさえ口にできるという事は大変に素晴らしい。
それでいうと僕は後者の「向いていない人」だ。「怒り」という感情に対して、僕は良きにせよ悪きにせよ、ある種の「虚しさ」が付き纏うものだというイメージがある。
いつだったか…恐らく小学生の頃。授業中に友達と喧嘩になった時、自分としては感情を露わにして怒っているつもりだったが、クラスメイトに「怒っている顔が面白い」と笑われた記憶がある。
そこからはもうみんなに大笑いされ、最終的には喧嘩相手にも笑われてなぁなぁのまま仲直りさせられたわけだが、この時に自分の「怒り」を他人に笑われたことが今日に至っても大きく尾を引いているように感じる。
それから日々は流れ、自分自身も大人になりそんなエピソードも薄れてなお、人に強く感情をぶつけることもなく、ただ今日この日を生きている。
「怒る」という行為には向いている人と、向いていない人がいると思う。
僕はおそらく後者で、僕自身が向いてない以上に周囲の人間からそれを求められていない節もある。
向いていないのであれば迎合すべきである。
僕はもう、そうやって色々な場所に蓋をして31年生きている