出ポタ記

日々思ったことの日記など

雑記180

「怒る」という行為には向いている人と、向いていない人がいると思う。

社会に出てみるといつも怒っている人は割と多い。体感にすればおよそ3割くらいはいつも何かに怒っている人だ。

客に怒り、仕事やシステムそのものに怒り、職場の内情に怒り…あげればキリがない。そうやって日々を乗り越えているんだな、と思う。大いに結構だ。感情をシンプルに形にし、あまつさえ口にできるという事は大変に素晴らしい。

 

それでいうと僕は後者の「向いていない人」だ。「怒り」という感情に対して、僕は良きにせよ悪きにせよ、ある種の「虚しさ」が付き纏うものだというイメージがある。

いつだったか…恐らく小学生の頃。授業中に友達と喧嘩になった時、自分としては感情を露わにして怒っているつもりだったが、クラスメイトに「怒っている顔が面白い」と笑われた記憶がある。

そこからはもうみんなに大笑いされ、最終的には喧嘩相手にも笑われてなぁなぁのまま仲直りさせられたわけだが、この時に自分の「怒り」を他人に笑われたことが今日に至っても大きく尾を引いているように感じる。

それから日々は流れ、自分自身も大人になりそんなエピソードも薄れてなお、人に強く感情をぶつけることもなく、ただ今日この日を生きている。

 

「怒る」という行為には向いている人と、向いていない人がいると思う。

僕はおそらく後者で、僕自身が向いてない以上に周囲の人間からそれを求められていない節もある。

向いていないのであれば迎合すべきである。

 

僕はもう、そうやって色々な場所に蓋をして31年生きている

雑記178

抑うつ

気が狂ってこのまま死んでしまいたい

でも僕の人生はもう、1マイクロメートルも失敗を許されない、次に失敗したら今度は自分自身の交友関係だけではなく家族の縁を切られるだろうから

家族は僕の味方でいてくれる?でもいつまで?永遠に?本当に?

僕がまた仕事を辞めるなり逃げるなりすればそれは僕自身はいいだろうけど、家族はどう思うだろう

以前会社を辞めた時の反応は存外に冷たかった いい加減にしろ いくつだと思っているんだ 情けないと思われたに違いない

僕にはもう失敗は許されない、もう家族から失望されるのも、疎ましく思われることも、自分自身がこれ以上自分を嫌いになることも、耐えられない

雑記177

ディベートしてるひろゆきは面白いけど、スパチャ読み上げしてる時のひろゆきはマジでつまらないよね。
小学生の頃に友達が「カスタムロボV2」のタクマ塾で連戦させられるとこ(みんなレイフォールガンとか使ってきて距離を取ってくるため持久戦になりがち)をよく見ていたけど、それと似た辛さを感じた。

持久戦は観戦に向かない、なぜならクソ眠くなるから。おわり

雑記175

生きてるとどうしても自分自身へ過信したり必要以上に思い上がってしまう事が多く(かなり私自身の未熟で恥ずかしい部分です)、時折自分はなんて短絡的で愚かな人間なのだろう…。と心虚しく感じてしまい、今すぐにでも消えて無くなりたいなと考えたりします。

雑記174

今日スネアやシンバルなどドラム周り売却してきたんだけど、大した金にもならなかった。
バンドという集団が生み出す物に偉大な価値があって、その一片である自分自身には大した価値もないと僕はどこかで浅ましい勘違いをしていた。

恥ずかしいです、心から。


でもそれを知れたから、多分これで全部正しかったんだと思う。

スティックはまだ捨ててない。

もったいないから折れるまではスタジオに入ったりして使う予定です

雑記173

正直シェラックの新作やツアーよりフォロワーのみんながどう受け止めるか、深く思い悩むだろうな…みたいな気持ちになってしまった。チバの時と同じだった。

「死」という無慈悲で避けようのない現実に直面した時、人間の本質的な面が浮き彫りになる